2012年10月15日月曜日

B-26 マローダー(アメリカ陸・海軍爆撃機)

情報元:Wikipedia(B-26 マローダー)

B-26は、アメリカ陸軍航空隊向けにマーチン社が開発し、第二次世界大戦中に配備された爆撃機である。アメリカ軍における公式ニックネームはマローダー(Marauder=略奪)。
同時期に開発されたB-25より高性能だったが、操縦の難しさから初期型では事故が多発し、乗員には「キラー・プレーン(殺人機)」「ウィドー・メーカー(未亡人製造機)」と呼ばれて嫌われた。その結果、B-25に比べて生産数や使用国の数で大きく差がつく結果となった。

1939年1月にアメリカ陸軍航空隊から出された新型高性能爆撃機の仕様に対して、マーチン社が計画・開発したのがB-26である。計画書では特に速度性能を重視して、当時の爆撃機に比べて円形断面で紡錘型の胴体を持ち翼面荷重の高い高翼機となっていた。
これが陸軍当局の要望と一致したため、本機は試作機無しにいきなり1,100機の大量発注を受けることとなった。1940年11月に量産第1号機が初飛行した。この機体は、最高速度508km/hという高速を出した。しかし、新型機に対する訓練期間が必要だったため、実際に戦場に登場したのは、第二次世界大戦中の1942年に入ってからとなった。

B-26は高速で、重武装かつ防御力の優れた爆撃機だったが、高速力を目指したために翼面荷重が高くなり、操縦はかなり難しく、また着陸速度は200km/hを超えるなど危険な航空機であった。このため離着陸時や低速飛行時の事故が続発し、最初の生産型であるB-26Aは一時生産中止になった。その後改良を加えた型であるB-26Bが開発され生産が再開された。この型は武装と装甲も強化されており、B-26各型の内で最も多く生産された。 この後も、主翼面積を増大させたり迎角を増加させたりするなどした改良型が作られ、主にヨーロッパ戦線で使用された。ヨーロッパ戦線では高い生還率を誇ったものの、同時期に運用されたB-25と比べると運用し辛かったため、必ずしも現場での評判は高くなかった。
また一部の型は魚雷を胴体下に装備する事もでき、対艦攻撃機として対日戦のミッドウェー海戦やニューギニア方面等で用いられたが、投入機数が少なかったこともあり大きな戦果をあげることはできなかった。第二次世界大戦終結後も暫く運用されたが、1948年には全機退役している。
第二次世界大戦中には、連合国のイギリス軍や自由フランス軍に対してもレンドリース機として相当数が供与された。なお、1961年に発生したピッグス湾事件で亡命キューバ人部隊に供与され、実戦使用されたのは本機ではなく、1948年の機種区分変更以前はA-26インベーダーと呼ばれていたダグラス社製の航空機である。

陸軍だけでなく海軍でも本機を訓練支援機や写真偵察機として使用した。アメリカ海軍では本機をJMの呼称で、乗員訓練、標的曳航等を行う汎用機として採用した。1943年から1944年にかけて、合計225機が引き渡された。これらは、B26Cをベースにして不要な武装を撤去し標的曳航装置を備えた、射撃訓練/標的曳航機であった。
この中の数機は、航空カメラを装備し写真偵察機として使用された。これとは別に、1945年に陸軍からTB-26G(B-26Gの練習機型)を47機譲渡され、訓練と標的曳航に使われた。これらの機体は太平洋戦争の終結とともに退役し、その後はミサイル標的の曳航機として利用され生涯を終えた。

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