2012年12月4日火曜日

MiG-23(ソビエト連邦空軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(MiG-23)

MiG-23(ミグ23;ロシア語:МиГ-23ミーグ・ドヴァーッツァチ・トリー)は、ソ連のミグ設計局が開発した戦闘機。MiG-21の後継機となり、アルチョム・ミコヤンが最期に手がけた機体であった。北大西洋条約機構(NATO)の使用するNATOコードネームはフロッガー (Flogger)。
1967年4月3日(23-01のもので、この機は可変翼機ではない)に初飛行した。また、MiG-27(МиГ-27)はMiG-23の発展型で、ソ連国内向けの戦闘爆撃機として開発された。

1960年代にミグとスホーイ両設計局がSTOL用リフトエンジン搭載有尾翼デルタ翼機と可変翼機の製作を指示されたのが始まりである(ミグは1960年代初めから可変翼機の研究をしていたが、当時は技術的に困難であった)。ミグは新型機を製作するにあたり、リフトエンジン2基を搭載する実験機23-31(MiG-21PD)を1966年に製作し、この機体のデータを基にしたSTOL機23-01(MiG-23PD)と、可変翼の23-11(MiG-23)を同年に製作した。翌年の実験で23-01が機体重量と空間の限界や整備面でこの方式が実用的でないことが判ると、23-11が採用された。
可変翼は、アメリカ合衆国の開発したF-111戦闘攻撃機(戦闘爆撃機と呼ばれることもある)やF-14戦闘機、ヨーロッパで共同開発されたトーネード攻撃機など1960年代後半から1970年代前半の軍用機に共通する特徴で、このような航空機は可変翼機と呼ばれている。この時期の軍用機は敵に滑走路を破壊された場合の対処方法を重要視して設計されており、離着陸距離を短縮できる可変翼機や滑走路を必要としないVTOL、STOL機に大きな関心が集まっていた。可変翼は、高速で飛行する際は翼を後退させて抵抗を減らし、離着陸や低速飛行の際は前に広げて揚力を大きくすることができた。MiG-23も可変後退翼の採用によって、離着陸距離を短縮している。 ただしF-14の可変後退翼はさらに進歩しており、後退角や後縁フラップを自動コントロールにして空中格闘戦能力が大幅に向上していた。一方後退角を手動で制御するMiG-23の前期型(MiG-23Mなど)までは格闘戦能力の向上効果は無かった。MiG-23の可変翼は、油圧で後退角度(16度から72度)が変わるものであったが、戦闘時には主翼を45度の位置に固定させるようになっていた。しかし後期型では改善され、戦闘時の後退角度はMiG-23MLDでは33度に変更され、後退角度制御こそ手動のままであるが、前縁フラップは自動制御になり、格闘性能を向上させている。
MiG-23は本来、前線の制空権を確保するための前線戦闘機であるため、空中戦のみならずある程度の対地攻撃能力も持つよう設計されていた。MiG-23ML等後期型では種別は多用途戦闘機に変更されており、アンゴラではMiG-23MLAの対地攻撃能力に対して高い評価が出されている。また、特に対地攻撃を重視した派生型もあり、その内ソ連空軍向けに開発された機体はMiG-27と呼ばれている。一方その輸出向けの機体の名称はMiG-23のままであり、名称の変更の有無はソ連内の予算獲得問題の関係(名称が違うと予算が付きにくい)であったと言われている。