2012年12月25日火曜日

F-11 タイガー(ブルーエンジェルス)

情報元:Wikipedia(ブルーエンジェルス)

ブルーエンジェルス (Blue Angels)はアメリカ海軍所属のアクロバット飛行隊。現在の本拠地はフロリダ州のペンサコーラ海軍航空隊基地。通称「ブルーズ (Blues)」。

昔から、アメリカ空軍のアクロバット飛行チーム「サンダーバーズ」とライバル関係にあり、共に世界でも高レベルのアクロバット飛行能力を誇る。

情報元:Wikipedia(F-11 タイガー)

F-11はグラマン社が製造した1950年代後半のアメリカ海軍の艦上戦闘機である。愛称はタイガー(Tiger)。1962年に軍用機の呼称が陸海空軍で統一される前の機種記号はF11Fであった。

F9F-6 クーガーは、優秀な戦闘機であったが、水平飛行で音速突破ができないなど速度性能には問題があった。そのため、1952年4月にF9F-8として本格的な超音速戦闘機がアメリカ海軍より発注された。なお、1952年6月にはチャンスボートF8Uの契約も行われていることから、F8U開発の保険的な意味合いも大きかった。機体がF9Fとは全く異なるが、F9F-8の名称で開発開始されたのは、予算対策の目的に既存機の改修の形をとったためである。なお、開発途中でF9F-9に名称が変更されている。F9F-9は1954年7月に初飛行し、1955年4月にF11F-1の名称が与えられた。
チャンスボートF8U、マクダネルF4Hと海軍の主力機の座を争ったが、元々は軽量戦闘機であったはずが、開発の過程で改良を重ねるうちに重量が増加してしまい、それと非力なエンジン(ライトJ65-W-18 推力 3,380Kg)の組み合わせは、速度(1,210km/h)・加速・上昇性能において劣っていた。加えて全天候性能や多用途性能にも欠けていた。そのため生産数は196機に止まった。
実戦部隊への配備も1957年から1961年までと短い。ただし、離着艦性能、操縦性、運動性においては非常に優れていたので、アメリカ海軍の曲技飛行隊「ブルーエンジェルス」の使用機になった。初期生産型と機首部分を延長した後期生産型がある。
F11F-1は1962年のアメリカ三軍の軍用機呼称の統一に伴ってF-11Aと改称された。

前述の通り、F11Fは機体重量に比べてエンジンが非力だったのが弱点であった。これを改良し、エンジンをより強力なGE J-79(推力 4355Kg)に変えた性能向上型F11F-1Fスーパータイガーが開発された。最高速度 2,253Km/hを記録、さらには23,449mの世界高度記録を樹立したが、反面エンジンの大型化により燃料消費が増大したことで航続距離が減少し、さらに翼面荷重も高くなったことから離着陸性能も悪化し、海軍の興味をひかず採用にはいたらなかった。F11F-1Fは試作機2機の生産にとどまった。F11F-1Fは1962年にF-11Bと改称された。
そこでグラマンは、NATOや、F-86の後継戦闘機を選定していた日本の航空自衛隊に、販売代理店の伊藤忠商事とともに売込をはかった。日本向の機体はグラマンの社内名でG.98J-11と呼ばれ、F11F-1Fの2号機を改造したデモンストレーターが製作され(※G-98そのものではない)、その操縦性と安全性をセールスポイントとして、日本では採用が一旦内定した。しかし、だが、G-98の内定に対して「汚職の疑いがある」また「設計図だけの幽霊戦闘機」(デモンストレーターは製作されたが、実機はまだ製作されていなかった)との批判が起こり、関係者からの事情聴取や証人喚問にまで発展し、白紙化した(第1次FX問題)。
前述の通りF11F-1Fスーパータイガーはエンジンの換装によりさまざまな問題が生じたが、グラマンはこれを改良して自衛隊の要求に合わせるとしていた。しかしその場合の開発資金は当然日本一国で負担しなければならず、対立候補であったロッキードF-104と比べると、生産も運用も困難となることがすでに1957年の調査団の報告書でも指摘されていた。
源田実航空幕僚長を団長とする官民合同の調査団が再び訪米し、二ヵ月半にわたる調査の結果提出された報告書に基づく再選定の結果、結局F-104に敗れる事となった。