2012年12月6日木曜日

MiG-27(ソビエト連邦空軍戦闘爆撃機)

情報元:Wikipedia(MiG-27)

MiG-27(ミグ27;ロシア語:МиГ-27ミーグ・ドヴァーッツァチ・スィェーミ)は、ソ連のミグ設計局の開発した戦闘爆撃機である。MiG-23前線戦闘機のソ連国内向け戦闘爆撃機型として製作された。1980年代、スホーイ設計局のSu-17M3/4とともにソ連空軍戦闘爆撃機部隊の中核を担った。北大西洋条約機構(NATO)の使用するNATOコードネームはフロッガー (Flogger)。 なお、このページで扱うMiG-27シリーズはMiG-23の戦闘爆撃機型であり、その輸出型はMiG-23BNと呼ばれている。このように、MiG-23シリーズとMiG-27シリーズは併せて考えるべきである。MiG-23/27シリーズの全体についてはMiG-23 (航空機)を参照のこと。

1960年代、ソ連では1950年代より開発してきた大型のSu-7BKL戦闘爆撃機が空軍の対地攻撃力の中核となっていた。また、小型のMiG-17F前線戦闘機やMiG-21前線戦闘機シリーズなども簡易な戦闘爆撃機として運用されていた。しかしながら、これらの機体はいずれも充分な能力を有しているとは言えず、1960年代末には新たな戦闘爆撃機に対する要求が各設計局に出された。スホーイ設計局では従来のSu-7シリーズを可変翼化したSu-17シリーズを開発し、それまでの領分を確保することに成功した。一方、MiG-15以降、小型の前線戦闘機の開発が領分となっていたミグ設計局では、以後の可能性を拡げるため、軍の要求に対し当時開発中であったMiG-23S前線戦闘機を改設計し、大型のSu-17に匹敵する戦闘爆撃機を開発することとした。

攻撃機型MiG-23の開発
MiG-23Sの戦闘爆撃機化は、まずエンジンをS・K・トゥマーンスキイ設計局のR-27F2M-300からより出力の大きなA・M・リューリカ会社のサトゥールンAL-21F-3に換装することから始められた。この機体はMiG-23B(МиГ-23Бミーク23ベー)または32-24と呼ばれ、機首のレーダーを撤去し代りにソーコル23S照準システムやフォーンレーザー測距儀などの対地攻撃用の新システムを装備した。初飛行は1971年に行われた。生産はモスクワ機械製作工場(MMZ)「ズナーミャ・トルダー(労働の旗)」で行われ、1972年から1973年の間に24機が製作された。

MiG-27とMiG-23BNの開発
しかしながら、MiG-23Bは機体強度等に致命的な欠陥が多くあったMiG-23Sを基に製作されていたためそれ同様に欠陥があり、戦闘機型MiG-23の改良を待ってすぐに新しい機体の設計に取り掛かる必要があった。その結果開発されたのがMiG-23BM(МиГ-23БМミーク23ベーエーヌ)または32-25と呼ばれる機体で、1972年に初飛行を行った。この機体は戦闘機型の改良型であるMiG-23M同様、前縁に面積を増すため張り出しを設けてドッグトゥースを形成させた主翼を有し、アフターバーナーを簡略化したトゥマーンスキイR-29B-300エンジンを搭載した。また、空気取り入れ口のランプも固定化されており、これらの改装により機体構造が簡略化し、軽量化されていた。この機体はMiG-27(МиГ-27)として1973年より生産に入り、1977年までに360機がイルクーツク航空機工場で製作された。MiG-23BMには前線偵察機型も開発されておりMiG-23R(МиГ-23Рミーク23エール)と呼ばれたが、結局前線偵察機としてはSu-17M3R/4Rが使用されることとなり、MiG-23Rは量産されなかった。また、空気取り入れ口を従来の可動式としたままの32-24B(32-24Б)はMiG-23BN(МиГ-23БНミーク23ベーエーヌ)としてMMZ「ズナーミャ・トゥルダー」工場で生産に入り、輸出向けに多数が製作された。なお、MiG-23BNに対しては1998年にMiG-23B-98(МиГ-23Б-98)近代化改修規格が提示されている。

MiG-27の発展
MiG-23BMの発展型として開発された32-26は、MiG-23BK(МиГ-23БКミーク23ベーカー)として1974年12月30日に初飛行を行った。この機体は1976年よりイルクーツク航空機工場で生産が始められ、1982年までに197機が製作された。部隊配備後の1980年、この機体に対しMiG-27K(МиГ-27Кミーク27カー)と名称を改めるよう指示が出された。また、1976年から1977年の間にMiG-27R(МиГ-27Рミーク27エール)または32-35と呼ばれる偵察機型が開発された。この機体は電波探知装置のコンテナーを機体下に搭載するものであったが、結局実際に生産されたものはなかった。
次に生産されたのはMiG-27M(МиГ-27Мミーク27エーム)または32-27と呼ばれた機体で、これはMiG-27Kが高価過ぎたことから開発された簡略型であった。初飛行は1976年に行われ、ウラーン・ウデー航空機工場で1978年から1983年の間に162機が生産された。また、合計304機の32-25も1983年から1987年の間に32-27規格に改修され、MiG-27D(МиГ-27Дミーク27デー)と称された。
1986年に初飛行したMiG-27ML(МиГ-27МЛミーク27エームエール)または32-29(32-29Л)と称される機体はインド向けに開発されたMiG-27の輸出型で、インドではMiG-27Mバハドゥール(MiG-27M Bahadur)と呼んで使用している。また、MiG-27L(МиГ-27Лミーク27エール)と書かれることもある。インドでは他にMiG-23BNも併用しており、これらは第三次印パ戦争でも使用されたSu-7BMKの代替である。インドでは今後もMiG-27を運用する方向で、2008年にはロシアと共同でエンジンをAL-31Fに換装した改修型を完成している。