2012年7月9日月曜日

F-101ヴードゥー(アメリカ空軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(F-101ヴードゥー)

F-101 ヴードゥー (Voodoo) はアメリカ合衆国のマクドネル社が開発した、双発の超音速戦闘機。初期設計では爆撃機の護衛用であったが、その後地上支援や写真偵察にも転用された。アメリカ空軍の他にカナダ空軍が広く採用し、台湾空軍も偵察機型を少数機導入した。当初の計画とは異なり、核攻撃任務兼任の偵察機および大型要撃機として実用化され、1954年の初飛行の後、偵察機型は1960年代からベトナム戦争にも投入され、アメリカ空軍・カナダ空軍の迎撃機型は北アメリカ大陸の防空にあたった。1985年までに全機が退役している。

アメリカ空軍戦略航空軍団 (SAC) は1951年1月に長距離戦闘機の開発要求を各社に出した。マクドネル社は開発中止となった長距離戦闘機の試作機 XF-88(1948年10月20日初飛行)を大幅に改良した案を提出し、それが受け入れられ、F-101の開発が開始された。なお、F-101の名称が付けられたのは1951年11月のことである。試作機YF-101Aは1954年9月29日にエドワーズ空軍基地で初飛行した。初飛行で音速突破を記録している。
初飛行の日に戦略航空軍団の長距離戦闘機計画は中止となった。しかし「核爆弾1発を搭載して敵地深くに高速で侵入する」という当時の戦術航空軍団 (TAC) の戦闘爆撃機の構想に合致した機体だった事、またF-102戦闘機の性能の低さに失望していた防空軍団 (ADC) より長距離要撃機として関心が示されたため、設計を変更し引き続き開発は続行された。
低翼配置の後退翼の機体で、テールに尾翼があるというのは、XF-88と同じであるが、胴体は3.2m延長され、尾翼面積も拡大している。水平尾翼の位置も垂直尾翼基部から垂直尾翼上部に移されている。その一方、主翼面積はXF-88とさほど変わらず。翼面荷重は高くなり、後述する通り本機の欠点となった。機関はジェットエンジンの双発であり、インテークは主翼付け根に、ノズルは胴体後部(テールの付け根)にある。
本機は登場した当初はマッハ1.7を誇り、当時の最高速の戦闘機であったが、程なくしてマッハ2級の戦闘機が続々と登場して、一転して速度性能では平凡な機体になってしまった。ただ本機の最高速度がマッハ2に達しなかったのは、インテークの形状が固定式であるためであり、J57エンジン双発のパワーは、決して後に登場したマッハ2級機に劣るものではない。そもそも超音速機と言えど、そうそう超音速が出せるものではなく(アフターバーナーを使用する事によりたちまち燃料を消費してしまう)、マッハ2以上の最高速度に大した意味がある訳ではない。本機がマッハ1級でありながら、高速偵察機としてベトナム戦争で活躍した実績が、その事実を如実に物語っている。80年代以降、むしろ戦闘機の最高速度は重要課題ではなくなったため頭打ちになり、低下していると言える状況である。
一方で、水平尾翼をT字配置として垂直尾翼の上に持ってきた設計は、大失敗であったと言える。迎角を大きく取ると主翼の後流が水平尾翼の効果を無くし、急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生じる事となった。そのためピッチ・コントロール・システムが付加され、機体の運動を制限して対処している。そのため高翼面荷重の設計と相まって、本機の運動性能はあまりよくない。要撃機や偵察機としてはともかく、本来の開発目的であった戦略航空軍団の長距離戦闘機(爆撃機護衛、あるいは爆撃機の安全のための敵国上空の制空権確保が任務であり、格闘戦能力は必須である)には全く向いていなかったと言える。
防空軍団では完全自動要撃戦闘システムを採用した F-106に対し、本機をパイロットのマニュアル操縦を重視した要撃機として位置づけていた。F-89戦闘機の後継機として主にアラスカの部隊で使用された。広大な北極海をパトロールするには長い航続距離が必要で、また半自動式防空管制組織 (SAGE) の十分な支援を受けられない環境であったので、本機のような戦闘機がF-106とは別に必要であった。要撃機型が全て複座なのも、よりパイロットの能力を重視した結果である。但し以上の説明は、要撃機の本命と言うべきF-106の採用の妨げにならないための、空軍による理論武装でもある。
戦術航空軍団では戦闘爆撃機として当初採用されたが、先だって採用されていた超音速戦闘機であるF-100が戦闘爆撃機としても十分使用できる機体であった事、戦術航空軍団の構想に基づく戦闘爆撃機としては当初から開発された”本命”の機体であるF-105の配備が迫っていた事から、この任務ではあまり用いられなかった。そのため高速性能を活かした偵察機として活用され、ベトナム戦争前半の主力偵察機として運用された。なお偵察機型は固定武装は有さないが、後の改装で核爆弾投下能力は有するようになっていた。強行偵察という任務の過酷さゆえに損耗は激しく、F-105と並んでベトナム戦争で使い尽くされた機体となった。空軍州兵 (ANG) の機体まで動員されてベトナム戦争に送られたため、穴埋めとして戦術航空軍団で第一線を退いた戦闘爆撃機型が偵察機型に改修されて空軍州兵に配属された。
最後までF-101を使用したのはカナダ空軍であり、1985年までには全機が退役した。

F-101ヴードゥー プラモデル・模型等