2012年8月6日月曜日

三式戦闘機 飛燕(大日本帝国陸軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(三式戦闘機 「飛燕」)

三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ61。愛称は飛燕(ひえん)。呼称・略称は三式戦、ロクイチなど。連合軍におけるコードネームはTony(トニー)。開発・製造は川崎航空機。設計主務者は土井武夫。

太平洋戦争(大東亜戦争)に実戦投入された日本軍戦闘機の中では唯一の液冷エンジン(水冷エンジン)機として、当時の同盟国であったドイツのダイムラー・ベンツ DB 601(Bf 109Eが搭載)のライセンス生産品であるハ40を搭載した。空冷エンジンが主力であった日本軍機の中では特に突出したスリムなデザインであり、その搭載エンジンから「和製メッサー」とも呼ばれたが、エンジンとのちに本機が装備するMG 151/20機関砲(マウザー砲)以外はBf 109とは全くの別設計であり、独自の機体設計はもちろん、左右一体型の主翼と胴体の接合法、ラジエーター配置、主脚構造などが大きく異なり、むしろ内部構造的には共通点が少ない。
1941年(昭和16年)12月に初飛行したキ61試作機は、最高速度は591km/hを記録、総合評価で優秀と判定されただちに制式採用が決定した。しかし、先行して試作され不採用となったキ60でもそうであったように、複雑かつ高性能な液冷エンジンに対する日本の整備員の不慣れから整備は難しいものであった。これは同じくDB 601のライセンス生産品であるアツタを採用していた海軍の彗星でもそうであったが、ハ40系のエンジンは量産開始後に陸軍からニッケルを使用資材から外す決定が下されたため部品強度がさらに落ちてしまった(排気タービン用にニッケルを確保するための措置)。そのため本機の制式化にはなお紆余曲折が予想された。

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