Yak-9 (Jak-9;ヤク9;ロシア語: Як-9ヤーグ・ヂェースャチ) は、第二次世界大戦時にヤコヴレフ設計局が開発したソ連空軍の主力戦闘機のひとつ。戦後、北大西洋条約機構 (NATO) によって付けられたNATOコードネームでは「フランク」 (Frank) と呼ばれた。 東欧を中心に1960年代初頭まで配備されていた。
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2012年11月21日水曜日
Yak-9 (ソビエト連邦空軍戦闘機)
2012年11月16日金曜日
P-51H(アメリカ陸軍戦闘機)
P-51は、アメリカのノースアメリカンにより製造されたレシプロ単発単座戦闘機である。愛称はマスタング (Mustang)、あるいはムスタング。
第二次世界大戦の半ばにイギリスのロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載した後は、大きな航続力、高高度性能、運動性を与えられ、多くの戦功を残し、最高のレシプロ戦闘機とみなされている。
2012年11月14日水曜日
P-51 マスタング(アメリカ陸軍戦闘機)
P-51は、アメリカのノースアメリカンにより製造されたレシプロ単発単座戦闘機である。愛称はマスタング (Mustang)、あるいはムスタング。
第二次世界大戦の半ばにイギリスのロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載した後は、大きな航続力、高高度性能、運動性を与えられ、多くの戦功を残し、最高のレシプロ戦闘機とみなされている。
2012年11月12日月曜日
メッサーシュミット Me262(ドイツ空軍戦闘機)
情報元:Wikipedia(メッサーシュミット Me262)
メッサーシュミット Me262 (Messerschmitt Me 262)は、第二次世界大戦末期にドイツ空軍が使用したジェット戦闘機、爆撃機である。愛称は「シュヴァルベ(Schwalbe、ドイツ語でツバメの意 )」。世界初の実戦配備および実戦を行ったジェット機である。
第二次世界大戦末期のドイツ空軍の最終兵器として登場したイメージが強いが、ジェット戦闘機の開発自体は開戦前の1938年から始まっていた。ドイツでは翌1939年、ハインケル社がジェット機の初飛行に成功し、ターボジェットエンジンの製作がBMW社及びユンカース社で始まっていた。 1939年6月7日、メッサーシュミット社からP1065計画が立案され、その設計の完成度は高かったが、後に生産された機体とは外見がだいぶ異なっていた。予定されていたBMW003ジェットエンジンが開発中に寸法が大型化。そのまま取り付けると機体の重心が狂ってしまい危険だった。その解決策として、エンジン外側の主翼を後方に18.5度曲げて後退角を付けた。本機は最初から後退翼機として設計されたというよりは、結果としてそうなったという方が相応しい。浅い後退角は後退翼効果を得るのには不十分で、重心位置改善以外に性能向上に貢献したとは言えない。エンジン装着位置も、当初案では翼桁の間に設置する予定であったが、それは簡単ではなかったので、主翼下に装着位置を変更。このあたり、当時未知のジェット機を開発する過程での試行錯誤だろう。さらに正面から見た胴体形状を、楕円形から上向き三角形に変更し、武装も20mm砲3門から30mm砲4門へ強化するなど、様々な設計変更を余儀なくされた。
1941年4月18日、試作1号機であるMe 262 V1の試験飛行が試みられた。当時BMW 003エンジンが実用レベルに達していなかったため、やむなくレシプロエンジンのユンカース社製Jumo 210Gを機首に装着して行われ、操縦性は極めて良好と判明。BMW003エンジンが搭載された後も、安全上の理由で機首Jumo 210Gエンジンはそのまま残したがこの措置は妥当だった。
1942年3月25日、Me 262 V1のジェットエンジンを用いての初飛行中、エンジンが2つとも停止し、機首のJumo 210Gだけで緊急着陸した。信頼性の低いBMW 003に代わって、ユンカース社のJumo 004Aエンジンに換装、また機首のレシプロエンジンを撤去し、武装としてMG 151/20機関砲3門が搭載された。本機は1944年6月7日の試験飛行で損傷して飛行不能となり、その役目を終えた。試作2号機であるMe 262 V2では当初からJumo 004 Aが搭載され、1942年10月1日に初飛行に成功、しかし翌年4月18日に事故で失われている。 試作3号機であるMe 262 V3は、1942年7月18日、ドイツ南部のギュンツブルク地区・ライプハイム空軍基地において、フリッツ・ヴェンデルの操縦によりジェットエンジンのみでの初飛行に成功し、ジェット機として新たなスタートをきった。しかし、更なる改良が加えられた。エンジン内側の主翼にも後退角が付き、前縁スラットを追加。また当初尾輪式だった降着装置は、試作5号機Me 262 V5からP.1065案同様の前輪式に変更された。尾輪式だった理由は、三車輪式が「アングロアメリカの発明品であるから」というナチス的な理由によるものであった。このため、離陸速度に達しても迎角が大きく離陸できず、ブレーキを軽く踏むことで機を水平にすることが必要であった。この間もテスト飛行は続けられ、1942年中に機体の調整は完了していたが、Jumo 004エンジンは依然不安定で、量産には手間取った。
1943年になると、試作4号機が空軍首脳部に披露され、同年5月22日にアドルフ・ガーランド少将(当時)がMe 262 V4に試乗。これを「天使が後押ししているようだ」と絶賛し、レシプロ機からの転換を言明した。さらにJumo 004B-0を搭載し前輪式降着装置を油圧引込式に改良した試作6号機Me 262 V6が、7月25日に航空相ヘルマン・ゲーリング元帥とエアハルト・ミルヒの前でデモンストレーション飛行を行った。
1943年11月26日、インスターブルク航空センターで地上展示された空軍の各種新兵器の中にあった、Me 262 V6を見た総統アドルフ・ヒトラーは、ゲーリングに対しこれは爆弾の搭載が可能であるかと質問した。ゲーリングの(事前にメッサーシュミット博士と打ち合わせ用意していた)理論的に可能であるとの解答を受け、ヒトラーは「電撃爆撃機が誕生した!」と宣言し、Me 262を高速爆撃機として生産するよう命じた。しかし、これらはMe262の高高度での高速性という性能をもつ飛行機の用途としては無意味な提案であった。当時、連合国軍の大規模爆撃がドイツ各地に被害を与え、ヒトラーとしては、それに対する報復と、ヨーロッパ大陸への侵攻に備え集結していた連合軍への攻撃を考えていたのである。(当時、世界の戦闘機の主任務用途は空対空戦闘から地滑り的に戦術支援への転移を生じており、ヒトラーは慧眼にもこの動向を洞察していたという声もある。) 後のガーランドの談によると、彼はジェット機開発計画の初期段階である1942年春の会議ではMe 262を戦闘機とするか爆撃機とするか、一面的に開発を進めるべきではないと発言し、メッサーシュミット博士も同意見であったという。ゲーリングがヒトラーに対して爆撃機として使用可能であると答えたのも、機種全体の開発計画を推進させるためのものであったのだが、これは結果的に戦闘機としての実戦投入を遅らせるだけの結果となった。
ガーランドはMe 262を戦闘爆撃機として運用することを推進するディートリッヒ・ペルツと対立しながらも、本土防空用戦闘機としての編成を進めていた。しかしヒトラーはこれを拒否、ミルヒからの解答でMe 262が戦闘機型のみ作られていることを知って激怒し、1944年5月23日の会議で、Me262を戦闘機と呼ぶ事を禁じ、爆撃型のみを生産させた。ただし1944年6月の会議の記録では、それはジェット爆撃機であるAr 234の生産が軌道に乗るまでの暫定的なものとされている。そして空軍上層部との対立が激しくなったガーランドは、後に戦闘機隊総監の地位を解任された(しかし、大戦末期の1945年2月、彼はMe262装備の部隊の指揮官となっている)。
2012年11月10日土曜日
ビッカース ヴァリアント(イギリス空軍爆撃機)
ビッカース(ヴィッカース) ヴァリアント (Vickers Valiant) とは、イギリスの航空機メーカー、ヴィッカース社で開発され、イギリス空軍で使用された爆撃機である。ハンドレページ ヴィクター、アブロ バルカンと共に3Vボマーと呼ばれた。3Vの中で最初の1955年に就役し、スエズ動乱にも参加している。イギリス初の核爆弾投下実験や水爆実験にも使用されたが、機体構造上に問題が発覚したため1965年に全機退役した。
2012年11月7日水曜日
フェアリー ソードフィッシュ(イギリス海・空軍複葉雷撃機)
フェアリー ソードフィッシュ(Fairey Swordfish)とは、イギリスの航空機メーカーであるフェアリー社が開発し、イギリス海軍航空隊によって使用された三座複葉の雷撃機である。基本性能こそ低かったものの、汎用性や操作性に優れ複葉機時代の最後を飾った非全金属製軍用機の傑作。ソードフィッシュの意味は、魚類のメカジキ。
2012年11月5日月曜日
九九式双発軽爆撃機(大日本帝国陸軍爆撃機)
九九式双発軽爆撃機(きゅうきゅうしきそうはつけいばくげきき)は、大日本帝国陸軍の爆撃機。試作名称(機体計画番号。キ番号)はキ48。略称・呼称は九九式双発軽爆、九九双軽、双軽など。連合軍のコードネームはLily(リリー)。開発・製造は川崎航空機。
帝国陸軍が当時仮想敵国としていたソビエト労農赤軍との戦闘を意識して、赤軍や中華民国空軍のSB軽爆を元に開発した機体である。
爆弾搭載量や航続距離よりも、戦闘機並みの速度と運動性能が重視され、主として敵飛行場において在地敵機を撃滅することを目的とし、敵地上部隊に対しては反復攻撃でこれを撃破するという、重爆撃機(九七式重爆撃機)と同じく陸軍独自の戦術思想の元に設計された。
日中戦争(支那事変)、太平洋戦争(大東亜戦争)全期間を通して主力軽爆撃機として使用された。
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2012年11月2日金曜日
Su-33(ロシア海軍戦闘機)
情報元:Wikipedia(Su-33)
Su-33(スホーイ33、スホイ33;ロシア語:Су-33スー・トリーッツァチ・トリー)とは、ロシアのスホーイの製造する戦闘機で、Su-27の艦上戦闘機版である。非公式な愛称として「シーフランカー」がある。NATOコードネームはフランカーD (Flanker-D)
Su-33の開発は、1970年代に旧ソビエト連邦が考案していた「新型AWACS計画」によって開始された。当初ソ連はスホーイ、MiG、ヤコブレフに研究を指示した。このうちミコヤンはMiG-27にアレスティング・フックを取り付けて地上試験を行ったが、機体の旧式化により技術的な問題がある、という結果がでている。スホーイはT-10(Su-27の原型機)にカナードや着艦フックなどを取り付けテストを行い、1982年に8月28日に模型航空母艦からの発艦に成功している。
Su-27を空母での運用可能な海軍仕様にした試験機は1984年に初飛行した。この試験機は、Su-27に着艦フックを取り付けるなど、ごく一部の改造を行ったのみであった。本格的な艦載機仕様の試作機はその後制作され、Su-27Kの名称で1987年8月17日に初飛行した。
Su-27Kの量産型は1990年初飛行し、1991年にロシア海軍への引き渡しを開始している。1992年には実戦可能な状態で配備されている。
NATOコードネームの"フランカーD"はアメリカやイギリス連邦諸国などの国防省によって行われる航空機標準化調整委員会 (ASCC)によって決定した。
また、並列複座練習型としてSu-27KUB(後にSu-33UBに改名)が制作され、1999年4月29日に初飛行している。推力偏向装置付きエンジンを装備している事が後に発覚した。現在のところSu-33の後継機候補としてロシア海軍により試験運用されている。1999年以降数回にわたり同国空母「アドミラル・クズネツォフ」甲板上から発艦しているのが確認された。
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2012年11月1日木曜日
FR ファイアボール(アメリカ海軍艦上戦闘機)
FRはアメリカ合衆国のライアン社がアメリカ海軍向けに開発した艦上戦闘機。愛称はファイアボール
(Fireball)。初飛行は1944年。ジェットエンジンとレシプロエンジンの複合動力機であった。第二次世界大戦の終結を受けて少数しか生産されなかった。1940年代に入り、ジェットエンジンの実用化が開始されたが、初期のジェットエンジンは燃費が悪いという欠点があった。そのため、出力の高いジェットエンジンと燃費のよいレシプロエンジンと組み合わせた複合動力機が考案された。本機もその一つである。
機体外形は、一般的なレシプロ戦闘機と同等であり、葉巻状の胴体に直線翼・低翼配置の主翼がつけられている。コックピットは涙滴型であった。機首にプロペラがあり、機体末端にジェットエンジンの排気口がある。そのため、着陸脚の配置は前輪式となっている。なお、インテイクは主翼付け根にあった。艦載機であり主翼は折りたたみできる。
本機の開発は1943年2月より開始された。試作機XFR-1の初飛行は1944年6月25日のことであるが、この時はレシプロエンジンでの飛行であった。1944年12月2日FR-1として100機が、1945年1月に改良型FR-2が600機が発注されたものの、戦争終結により11月までに66機が生産されたに過ぎず、残りはキャンセルとなった。1945年5月に本機によって一個飛行隊(第66戦闘飛行隊 VF-66)が編成されたものの、実戦には投入されていない。
FRはアメリカ海軍初のジェットエンジン搭載機であり、1945年11月6日には護衛空母ウェーク・アイランド(CVE-65)にジェットエンジン搭載機として、初の着艦を行っている。
戦争の終結とジェットエンジンの急速な進歩により、本機は短期間で退役することとなり、1947年には引退した。なお、レシプロエンジンをターボプロップエンジンに変更したXF2Rも開発されたが量産には至らなかった。
現在では、1機がカルフォルニア州の博物館に展示されている。