メッサーシュミットBf 110は、第二次世界大戦前にドイツで開発された双発プロペラの重戦闘機である。Me 110とも呼ばれる。 高速戦闘機として登場したが、バトル・オブ・ブリテンでは期待されていた対戦闘機戦で大きな被害を受けたため低い評価がなされている。しかしその後、重武装と高速性能、航続距離を生かした戦術開発によりドイツ空軍にとっては無くてはならない役割を果たしている。
第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間に、各国では長距離侵攻のための航続力と速度性能を両立させる双発戦闘機の開発が模索されていた。 ドイツ空軍省ではヘルマン・ゲーリング空軍総司令官がこの構想を積極的に支持したため、1934年秋に"戦略重戦闘機開発仕様書"を発行し、長距離侵攻ができる航続力と快速を兼ね備える多目的な戦闘機"Kampfzerstörer"(爆撃駆逐機)の開発を要請した。具体的には双発、複座、金属製単葉機、爆弾倉と大口径砲を備えることを条件としていた。
7社から提示された試作プランの中で、ヘンシェル社、フォッケウルフ社と、BFW社(のちのメッサーシュミット社)の3社によって競作されることとなり、それぞれにHs 124、Fw 57、Bf 110の型式番号が与えられた。 Hs 124とFw 57は要求に沿って爆弾倉と銃塔を備えた機体として試作されたものの、要求を満たす性能を達成することができなかった。これに対してBFW社は仕様書と異なり爆弾倉が無い小型でコンパクトな機体プランを提出したため試作許可がおりなかったが、運、あるいはエルンスト・ウーデットによる圧力によって試作される運びとなり、1936年5月12日にBf 110 V1試作機が初飛行を遂げた。 試作機は高い速度性能を示し、当時のドイツ軍が実戦で使用していたBf 109B戦闘機の最高速度470km/hに対し、DB600エンジンを搭載したBf 110 V1は509km/hの速度を記録している。これにより1937年に採用が決定され、ドイツ空軍は本機を駆逐機 (Zerstörer) と呼び従来の単発戦闘機と区別し大きな期待をかけることとなった。
Bf 110 V2試作機が10月に、翌1937年から1938年初頭にかけて前生産型のA-0型が4機製作された。ここでDB 600エンジンの生産性と信頼性の低さが問題となったため、後継機のDB 601エンジンを搭載することが決定される。DB 601の完成までは暫定としてJumo210エンジン(600馬力)が選定された。Jumo210エンジンは出力が低く速度性能が大幅に低下してしまい、改良型のJumo210G(700馬力)を搭載したBf 110 B型にしても前生産型、戦闘機型、写真偵察機型、訓練機型が合計45機生産されたにとどまっている。
1938年の終わりには待望のDB601エンジン(1,050馬力)が完成。これを搭載し、ラジエーターの配置等の改良が行われたC-0型は最大速度545km/hの高速で飛行し、これにより初の大量生産が行われることになった。 Bf 110は双発機としては小型の機体で、細身の胴体ながら十分な拡張性があったため、後の装備追加に対応することが出来た。高速性能には優れていたが、機体は重量があり単発戦闘機に比べ旋回性能や機動性に劣り加速性能の悪いことがテストパイロットから指摘されている。
武装としては機首上面に7.92mm機銃4挺、機首下面に20mm機関砲2門を集中配置し高い攻撃力をもっている。またコクピット後方に防御用の7.92mm機銃座1基を備えていた。
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