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2012年8月25日土曜日

四式戦闘機 疾風( 大日本帝国陸軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(四式戦闘機 疾風)

四式戦闘機(よんしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ84。愛称は疾風(はやて)。呼称・略称は四式戦、四戦、ハチヨン、大東亜決戦機など。連合軍のコードネームはFrank(フランク)。開発・製造は中島飛行機。

九七式戦闘機(キ27)、一式戦闘機「隼」(キ43)、二式単座戦闘機「鍾馗」(キ44)と続いた、小山悌技師を設計主務者とする中島製戦闘機の集大成とも言える機体で、全体的に保守的な設計ながらよくまとまっており、速度・武装・防弾・航続距離・運動性・操縦性・生産性のバランスが取れた傑作機であった。624km/hという最高速度は大戦中に実用化された日本製戦闘機の中では最速であった(キ84-I乙試作機が試験飛行の際に660km/hを記録したとされ、アメリカ軍のテストでは680km/h代後半を記録している)。四式重爆撃機「飛龍」(キ67)と共に重点生産機に指定され、総生産機数は基準孔方式の採用など量産にも配慮した設計から、1944年(昭和19年)中頃という太平洋戦争(大東亜戦争)後期登場の機体ながらも、日本軍戦闘機としては零戦、一式戦に次ぐ約3,500機に及んだ。
帝国陸軍から早くから「大東亜決戦機(大東亜決戦号)」として大いに期待され、大戦後期の主力戦闘機として多数機が各飛行戦隊といった第一級線の実戦部隊に配属され参戦し、対戦したアメリカ軍からも「The best Japanese fighter(日本最優秀戦闘機、日本最良戦闘機)」と評価された名機だが、搭載した新型エンジン・ハ45(海軍名・誉)の不調や、潤滑油・ガソリン(オクタン価)の品質低下、点火プラグ・電気コードといった部品の不良・不足、整備力の低下などにより全体的に稼働率が低く、また、スペック通りの最高性能を出すのが難しかったため、大戦後半に登場した陸海軍機の多くと同様、評価の分かれる機体である。

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2012年8月6日月曜日

三式戦闘機 飛燕(大日本帝国陸軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(三式戦闘機 「飛燕」)

三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ61。愛称は飛燕(ひえん)。呼称・略称は三式戦、ロクイチなど。連合軍におけるコードネームはTony(トニー)。開発・製造は川崎航空機。設計主務者は土井武夫。

太平洋戦争(大東亜戦争)に実戦投入された日本軍戦闘機の中では唯一の液冷エンジン(水冷エンジン)機として、当時の同盟国であったドイツのダイムラー・ベンツ DB 601(Bf 109Eが搭載)のライセンス生産品であるハ40を搭載した。空冷エンジンが主力であった日本軍機の中では特に突出したスリムなデザインであり、その搭載エンジンから「和製メッサー」とも呼ばれたが、エンジンとのちに本機が装備するMG 151/20機関砲(マウザー砲)以外はBf 109とは全くの別設計であり、独自の機体設計はもちろん、左右一体型の主翼と胴体の接合法、ラジエーター配置、主脚構造などが大きく異なり、むしろ内部構造的には共通点が少ない。
1941年(昭和16年)12月に初飛行したキ61試作機は、最高速度は591km/hを記録、総合評価で優秀と判定されただちに制式採用が決定した。しかし、先行して試作され不採用となったキ60でもそうであったように、複雑かつ高性能な液冷エンジンに対する日本の整備員の不慣れから整備は難しいものであった。これは同じくDB 601のライセンス生産品であるアツタを採用していた海軍の彗星でもそうであったが、ハ40系のエンジンは量産開始後に陸軍からニッケルを使用資材から外す決定が下されたため部品強度がさらに落ちてしまった(排気タービン用にニッケルを確保するための措置)。そのため本機の制式化にはなお紆余曲折が予想された。

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2012年7月22日日曜日

二式複座戦闘機 「屠龍」( 大日本帝国陸軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(二式複座戦闘機 「屠龍」)

二式複座戦闘機(にしきふくざせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ45改。愛称は屠龍(とりゅう)。略称・呼称は二式複戦、二式双戦など。連合軍のコードネームはNick(ニック)。開発・製造は川崎航空機。 名称に複座とつくのは、同年に採用された二式単座戦闘機「鍾馗」と区別するため。

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2012年7月11日水曜日

二式単座戦闘機 鍾馗(大日本帝国陸軍局地戦闘機)

情報元:Wikipedia(二式単座戦闘機 鍾馗)

二式単座戦闘機(にしきたんざせんとうき)は、第二次世界大戦での日本陸軍の重単座戦闘機。キ番号(試作名称)はキ44。愛称は鍾馗(しょうき)。戦争後期にB29の邀撃など本土防空で活躍した。略称・呼称は二式単戦、二単、二式戦闘機、二式戦、ヨンヨンなど。連合軍のコードネームはTojo(トージョー)[1]。開発・製造は中島飛行機。

それまでに開発された他の日本戦闘機とは異なり、旋回性能よりも速度を優先させており、優れた上昇力、加速力、急降下性能を備えた優秀な迎撃機であったが、反面、日本の戦闘機としては旋回性能、航続力は低く、翼面荷重が大きい。これらは欧米の戦闘機と比べると標準的な値であったが、操縦の容易な従来の軽戦での格闘戦に慣れた日本のベテランパイロットには、離着陸の難しさ、航続距離の不足などを理由に嫌われる傾向にあった。設計に携わった糸川英夫技師は、『一式戦闘機「隼」は時宜を得て有名だが、自分で最高の傑作だと思っているのは、それの次に設計した「鍾馗」戦闘機である』と戦後の著書に記している。 最高速度(二型甲)605km毎時(高度5000m)、航続力1200km、1225機生産(1型~試製3型まで)。

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2012年7月6日金曜日

一式戦闘機 隼(大日本帝国陸軍戦闘機)

情報元:Wikipedia(一式戦闘機 隼)

一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発・製造は中島飛行機。
四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争(大東亜戦争)における主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては大日本帝国海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位。

一式戦闘機(隼) プラモデル・模型等
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