四式戦闘機(よんしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ84。愛称は疾風(はやて)。呼称・略称は四式戦、四戦、ハチヨン、大東亜決戦機など。連合軍のコードネームはFrank(フランク)。開発・製造は中島飛行機。
九七式戦闘機(キ27)、一式戦闘機「隼」(キ43)、二式単座戦闘機「鍾馗」(キ44)と続いた、小山悌技師を設計主務者とする中島製戦闘機の集大成とも言える機体で、全体的に保守的な設計ながらよくまとまっており、速度・武装・防弾・航続距離・運動性・操縦性・生産性のバランスが取れた傑作機であった。624km/hという最高速度は大戦中に実用化された日本製戦闘機の中では最速であった(キ84-I乙試作機が試験飛行の際に660km/hを記録したとされ、アメリカ軍のテストでは680km/h代後半を記録している)。四式重爆撃機「飛龍」(キ67)と共に重点生産機に指定され、総生産機数は基準孔方式の採用など量産にも配慮した設計から、1944年(昭和19年)中頃という太平洋戦争(大東亜戦争)後期登場の機体ながらも、日本軍戦闘機としては零戦、一式戦に次ぐ約3,500機に及んだ。
帝国陸軍から早くから「大東亜決戦機(大東亜決戦号)」として大いに期待され、大戦後期の主力戦闘機として多数機が各飛行戦隊といった第一級線の実戦部隊に配属され参戦し、対戦したアメリカ軍からも「The best Japanese fighter(日本最優秀戦闘機、日本最良戦闘機)」と評価された名機だが、搭載した新型エンジン・ハ45(海軍名・誉)の不調や、潤滑油・ガソリン(オクタン価)の品質低下、点火プラグ・電気コードといった部品の不良・不足、整備力の低下などにより全体的に稼働率が低く、また、スペック通りの最高性能を出すのが難しかったため、大戦後半に登場した陸海軍機の多くと同様、評価の分かれる機体である。
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