二式単座戦闘機(にしきたんざせんとうき)は、第二次世界大戦での日本陸軍の重単座戦闘機。キ番号(試作名称)はキ44。愛称は鍾馗(しょうき)。戦争後期にB29の邀撃など本土防空で活躍した。略称・呼称は二式単戦、二単、二式戦闘機、二式戦、ヨンヨンなど。連合軍のコードネームはTojo(トージョー)[1]。開発・製造は中島飛行機。
それまでに開発された他の日本戦闘機とは異なり、旋回性能よりも速度を優先させており、優れた上昇力、加速力、急降下性能を備えた優秀な迎撃機であったが、反面、日本の戦闘機としては旋回性能、航続力は低く、翼面荷重が大きい。これらは欧米の戦闘機と比べると標準的な値であったが、操縦の容易な従来の軽戦での格闘戦に慣れた日本のベテランパイロットには、離着陸の難しさ、航続距離の不足などを理由に嫌われる傾向にあった。設計に携わった糸川英夫技師は、『一式戦闘機「隼」は時宜を得て有名だが、自分で最高の傑作だと思っているのは、それの次に設計した「鍾馗」戦闘機である』と戦後の著書に記している。 最高速度(二型甲)605km毎時(高度5000m)、航続力1200km、1225機生産(1型~試製3型まで)。