2012年7月31日火曜日

フォッケウルフ Ta 152(ドイツ空軍高高度戦闘機)(スライド動画)

情報元:Wikipedia(フォッケウルフ Ta 152)

Ta 152は、第二次世界大戦末期にドイツの航空機メーカー フォッケウルフによって製造された高高度戦闘機。同社の戦闘機 Fw 190D-9を発展させたものである。
フォッケウルフ製の航空機でありながら機種コードが Fw でないのは、1943年10月、ドイツ航空省 (RLM) が「新たな戦闘機には主任設計者の名称を含める」と定めたことによる。その結果、主任設計者クルト・タンクの名字 (Tank) から Ta となった。(同様な例として、エリック・バッヘム博士のBa等がある。)

高度6,000メートル以上で急激に性能が低下するFw190Aを液冷エンジン化することで高高度に対応したFw 190 D-9 タイプ(ドーラ9)は戦闘機として一応の成功を収めたものの、搭載するエンジンは本来高高度用ではなく、真の意味での高高度戦闘機と呼べるものではなかった。そこで、フォッケウルフの設計者クルト・タンクは高高度での戦闘能力向上をはじめとした能力全般の向上を図った機体の開発に取り組んだ。その結果誕生したのがTa 152である。この機は高度 12,500 m で 760 km/h の最高速度を目標とし、「究極のレシプロ戦闘機」として、大きな期待がかけられた。
本機の特徴は、空冷エンジン装備のFw-190Aに水冷エンジンを換装したFw-190 D-9をベースにさらに高高度飛行に対応したもので、D-9との主な違いは、高高度用エンジンへの換装、与圧コックピット、主翼の大アスペクトレシオ化、さらに、武装強化策として、Fw-190シリーズでは初のプロペラ軸内機銃の装備などである。
これらの追加装備によって機体の全備重量はD-9から1トン近くも増加したため、主脚も大幅に強化されたが、主脚自体の重量増加に対して、Fw-190の電動式引き込み脚のモーター出力では対応できなくなり、油圧式引き込み脚に変更されている。
また、主翼の大アスペクトレシオ化に伴ってフラップ長(=面積)も増大したため、作動中にフラップに掛かる風圧も大きくなり、Fw190シリーズの電動方式から油圧式に変更された。
一方、Fw-190シリーズの特長である、操縦桿と方向舵・昇降舵とを差動クランク機構を介してロッドでダイレクトに繋いだコントロール機構、水平尾翼の電動式角度調整機構などは、そのまま踏襲されている。
さらに、Fw-190では、方向舵のみをコントロールする簡易型の自動操縦機構であったが、本機ではさらに昇降舵、補助翼もコントロールできるようになり、より進化した自動操縦システムが搭載されている。
エンジンにはユンカース・ユモ 213シリーズが採用された。タンクはより高高度・高回転型のダイムラーベンツ・DB 603を希望したが、この期に及んでもメッサーシュミット優先を覆さなかったナチ政権はメッサーシュミット以外の戦闘機には生産工数の少ないユンカース製を指定した。また、ユモ 213でも本来であれば性能向上形が用いられる予定であったが、こちらは戦局の悪化に伴い開発・生産が滞った為に、試作初期の機体はFw190Dシリーズと同じユモ 213Aを搭載したH-0として完成した。
中・低高度用のTa152Cシリーズには、DB603が指定されたが、こちらの量産機はついに1機も完成することはなかった。
もっとも後の評価では、タンク博士の「戦闘機とは競走馬ではなく、軍馬でなくてはならない」という持論からすると、繊細なDB603よりも、ユモ 213で完成されたことは結果的に正しかったともされる。
本機にまつわる逸話として次のようなものがある。タンク自らが操縦桿を握って飛行していた時、2 機の P-51 による追撃を受けたが、実弾が未装備だったので、パワー・ブースターを作動させて悠々と逃げ去ったというものである。
戦後、アメリカがイギリス経由で入手した一機(H-0)がスミソニアン博物館のポール・ガーバー施設倉庫に解体状態で保管されている。唯一の現存機だが、未だ復元される様子は無い。

フォッケウルフTa152 プラモデル・模型等(楽天)
フォッケウルフTa152 プラモデル・模型等(アマゾン)