F-82は、アメリカ軍の長距離戦闘機・夜間戦闘機。製造はノースアメリカン社。愛称はツインムスタング(Twin Mustang)、初飛行は1945年。開発時はP-82の名称であったが、1947年にF-82に改称されている。
第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍は、爆撃機護衛用の長距離戦闘機を求めていた。当時、長距離護衛戦闘機の主力だったP-38、P-47、P-51などは単座機であり、ドイツ・日本本土爆撃などの長距離任務の際、パイロットは長時間に渡り一人で操縦し続けなければならなかった。そのため、パイロットの負担が少なくて済むように、交代で操縦できる複座戦闘機の開発が要求された。これを受けノースアメリカン社が開発したP-82は、2機のP-51を連結した双胴式戦闘機(社内モデル呼称NA-120)を開発することとなった。陸軍航空隊から3機の試作機発注が1944年1月に行われ、3月には500機の発注が行われた。その後、日本無条件降伏に伴い発注は20機に激減。さらに一転し、軍は100機注文を出す。
基本的にはP-51Fの主翼および水平尾翼どうしを連結し、レシプロ双発エンジン、コックピットは二ヶ所としたものである。ただし、全長が伸びており、胴体部の変更は大きい。プロペラは左右で逆回転であり、トルクを打ち消すようになっている。エンジンは同じものであるが、左側のエンジンは逆回転用にギアが一つ多くつけられている。武装の機銃6丁は内翼にのみ装備されている。また、パイロットが交代で操縦することができる。機体が大型になったものの、P-51に劣らぬ性能を発揮した。
試作機・XP-82は1944年4月15日に初飛行している。護衛戦闘機として第二次世界大戦に参加することはなかった。部隊配備は戦後であり、長距離戦闘機型P-82Eは1948年より部隊配備されている。このほか、旧式化したP-61戦闘機の後継として、夜間戦闘機型が1948年から配備される事になった。結果的にはジェット戦闘機が長距離戦闘や夜間(全天候)戦闘を行えるようになるまでのギャップを埋めたレシプロ戦闘機として、朝鮮戦争でB-29の護衛でジェット戦闘機F-86が登場するまで活躍する事となった。
夜間戦闘機型のF-82では、右側の操縦席をレーダー手席に改造し、中央部主翼の下に増槽型のレーダーユニットを搭載した。このユニットは胴体着陸時などに投下可能なよう、取り外し式であった為、高G機動時などで外れてしまう事があった。
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