2012年6月12日火曜日

紫電改(日本(大日本帝国)海軍局地戦闘機)


情報元:Wikipedia(紫電改)

「紫電改」(しでんかい)は、大日本帝国海軍が第二次世界大戦中に開発した戦闘機である。この名称は紫電の各型のうち、二一型以降の機体を呼ぶものである。
局地戦闘機紫電は、もともと水上戦闘機「強風」を元に開発された戦闘機であり、紫電二一型はこれを低翼に再設計した機体であった。また「紫電改」の名称は、試作名称の仮称一号局地戦闘機改が一般化したもので、本機の制式名称は紫電二一型である。出自が迎撃戦に使われるべき局地戦闘機でありながらも、1943年以後、急速に進む零式艦上戦闘機の陳腐化、その正統後継機の烈風の開発遅延への対応策の一環で、戦争末期における日本海軍の事実上の制空戦闘機としての零戦の後継機として運用され、1944年以降の日本海軍においての唯一敵に正面から対抗可能な制空戦闘機として太平洋戦争末期の日本本土防空戦で活躍した。 同時期に開発された同じ発動機を搭載する中島飛行機の四式戦闘機「疾風」が保守的な設計だったのと対照的に、紫電改は新機軸の設計(自動空戦フラップ、層流翼)が特徴である。 本機に対する後世の評価は大きく分かれているが、その数奇な運命やネーミングから人気の高い機体である。米軍を中心とした連合軍側のコードネームは"George"。紫電改は正面から見ると低翼であることがわかるため、紫電一一型とは別機と認識されていた。さらに戦時中には情報不足から、疾風や零戦などの他機種と誤認して報告されていた。戦後になってから紫電がGeorge11、紫電改がGeorge21と分類され、呼ばれている。 日本海軍の搭乗員からは紫電が「J」、紫電改が「J改」と呼ばれたが、当時から「紫電」・「紫電改」と呼称していたという証言もある。343空の戦時日記には「紫電改」「紫電二一型」の記述もあり、実際には統一されていなかった。

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