2012年6月15日金曜日

ヘンシェル Hs129(ドイツ空軍双発地上攻撃機)

情報元:Wikipedia(ヘンシェル Hs129)

ヘンシェル Hs129は、第二次世界大戦中にドイツ空軍で運用された双発地上攻撃機である。

1937年頃にドイツ空軍省は「堅固な防御装甲を施した20mm機関砲装備の小型双発攻撃機」の競争試作を各航空機生産会社に提示した。これに対しハンブルガー、フォッケウルフ、ゴータ、ヘンシェルの4社が応募し、設計審査を行った。その結果フォッケウルフとヘンシェルの設計案でそれぞれ試作を行うこととなった。

試作原型機は1939年頃それぞれ完成、比較審査が行われた。フォッケウルフのFw189Cは、傑作偵察機「空飛ぶ目」といわれたFw189に装甲を施した機体で双発双胴だった。それに対しヘンシェルのHs129は最初からこの計画のために設計された機体だった。

Fw189Cは原型機がタイプ別にコクピットセクション周りを変更できるように設計されておりコクピット周りに装甲を施した2人載り用の物に載せ替えられた他、20mm砲2門、7.92mm機銃4丁、後方銃座に7.92mm機銃を搭載するなど様々な改造が施され原型機よりも生産性が低下し、価格も高価なものとなったがエンジンは原型機と変わらずアルグスAs.410A-1であり、重量増加に見合う出力は得られていなかった。

Hs129もエンジンは同様であったが装甲装備による重量増加をある程度考慮した機体設計がなされていた。両機の差は明らかで偵察機改造のバリエーション機と専用設計の機体とでは勝負にならず、第2教導航空団での審査の結果Hs129が採用され、Hs129A-0として12機が発注された。しかし空軍省はその性能にかならずしも満足できなかったとも伝えられている。

本機の胴体は装甲装備による重量増加防止のため三角形の断面としていたが、機体上方の横幅が狭く全体的に小型化していたため極端に狭いコクピットとなり、ほとんど座席スペースのみという状況で一部エンジン関係計器はエンジンナセルに装備され、射撃照準器でさえキャノピー外に装備し、さらに操縦桿の動きまでもが制限されていた。分厚い防弾ガラスで構成されたキャノピーは満足な前方視界さえ得られなかったという。固定武装は、このコックピットを挟むように側面に7.92mm×2、20mm×2が装備された。最初の量産型とされた本機はアルグスAs.410A-1(465馬力)×2機を搭載していたが、総重量5トンにも及ぶ機体に相応の性能を持たせるには無理があり、運動性が鈍く操縦性は劣悪で熟練した操縦士でさえ乗りこなすことが難しかった。

1940年秋頃に数機が第2教導航空団麾下の部隊に配備され、実用試験が行われたが問題が多く特にエンジンの出力不足による運動性の悪さが指摘され、空軍省はHs129A-0の量産移行を断念することを決定した。しかし、すでに第二次世界大戦が勃発しており地上襲撃用機の部隊も編成され、専用の装備機体が早急に求められる状況となっていた。ヘンシェル社としては設計を改めた新型機の試作を提案したが、その時間的余裕を空軍省は許さず、現設計を改良することを命じられた。

一番の問題点は運動性であったが、これは高出力エンジンの搭載によりある程度解決可能であることは解ってはいたものの、当時すでに高出力のエンジンは戦闘機や通常爆撃機に回されていたため、Hs129が装備できるような量産型の高出力エンジンの供給が国内では難しい状況であった。

しかし占領したフランスで、ノーム・ローン14M空冷14気筒エンジン(700馬力)の転用に目処が付き、このフランス製エンジンを搭載した機体をHs129Bとして再設計することとなった。エンジンナセル周りやコクピットの形状変更や改善、電動トリムタブの採用などの改修を加えた結果、かなりの性能向上が確認された。もっとも、それでもまだ鈍重な機体であることに代わりはなかったが空軍省としては量産することを決定した。

Hs129は航空機としては重装甲の対地攻撃専用機として設計をスタートしているため、この種の機体として有名なソ連の地上攻撃機 Il-2 「シュトゥルモヴィーク」と比較されることもあるが、ドイツ軍としては装甲車輌攻撃専用というかなり絞り込んだ用途を想定していた機体であり、それより汎用性のあるIl-2とは多少性格が異なる。本機は重武装、重装甲の機体で実戦でも戦果を挙げたが、フランス製エンジンの信頼性が低く重量に見合った出力ではなかったため、運動性の問題が最後までつきまとうこととなった。

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