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2012年10月31日水曜日

XB-51(アメリカ陸軍航空軍爆撃機)

情報元:Wikipedia(XB-51)

XB-51は、アメリカのマーチン社が試作したジェット爆撃機。初飛行は1949年。試作のみで、制式採用はされなかった。

1945年にアメリカ陸軍航空軍向けの機体・XA-45として開発が開始された。1946年に名称変更によりXB-51となる。機体の主任務は、低空爆撃と近接航空支援である。完成した試作機は、1949年10月28日に初飛行した。
機体は、軍用機としては珍しい三発機である。二発がコックピット下の機体・顎の部分にそれぞれ取り付けられ、三発目は尾部に取り付けられ、そのインテイクは垂直尾翼前方にある。主翼は後退角35度で下半角が6度ついている。主脚は胴体に二重車輪でタンデムについており、補助脚が主翼端に装備されている。乗員は2名であり、後席手が航法などを行う。
1950年にアメリカ空軍はA-26攻撃機を更新するために、カナダのCF-100やイギリスのキャンベラと比較した。結果、XB-51は低空飛行性能などに高い評価を受けたものの、その降着装置が未整備飛行場における運用に適しておらず、機体強度も低いと判断され、採用されなかった。
XB-51は試作機2機が製造されたのみであり、マーチン社は空軍に採用されたキャンベラ爆撃機の製造を行うこととなった。

2012年10月29日月曜日

F-111 アードバーク(アメリカ空軍戦闘爆撃機)

情報元:Wikipedia(F-111 アードバーク)

F-111はジェネラル・ダイナミクス社が開発した軍用機。センチュリーシリーズに数えられることがある。

初飛行は1964年で、世界初の実用可変翼機として知られる。公式な愛称を有さなかったものの、「アードバーク(Aardvark ツチブタの意)」などの複数の愛称で呼ばれる場合もある。(アメリカ空軍は退役当日にアードバークを公式採用することを発表した) 開発はロバート・マクナマラ国防長官の開発費、及び維持費の削減という狙いを強く反映し、アメリカ空軍とアメリカ海軍で共通の機体を使用させる事から空軍型のA型と艦上戦闘機型のB型の2機種の開発を目指した。しかし、B型は艦隊防空戦闘機としての重量軽減などを実現できず、最終的にはF-111Aのみの採用となった。マクナマラがフォード社の出身であることから、自動車のバッジエンジニアリングを軍用機に導入したと揶揄された。 ベトナム戦争や湾岸戦争等に投入され、主に対地攻撃任務に用いられた。
アメリカ空軍では1998年、オーストラリアでは2010年12月に退役した。

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2012年9月13日木曜日

B-2 スピリット(アメリカ空軍戦略爆撃機)

情報元:Wikipedia(B-2 スピリット)

B-2はアメリカ空軍のステルス戦略爆撃機である。開発はノースロップ・グラマン社が担当した。水平尾翼および垂直尾翼がない全翼機と言う特徴的な形をしており、愛称はスピリット(Spirit、魂、精神の意)。
この機は同重量の金と同価値といわれるほど非常に高価で、少数しか生産されていない。B-2は1機ごとに「Spirit of ~(大半は米国の州の名)」のパーソナルネームが与えられている。

B-2の開発は、ステルス性や長い航続距離などの要求の下に1978年から開始された。その当初は、ソビエト連邦の防空網をかいくぐり、ICBM発射基地や移動式ICBM発射台に短距離攻撃ミサイルにより核攻撃を加えることを主目的としていた。開発初期は極秘プロジェクト(Project Senior C. J.、後にATBと改名)として当初米空軍上層部ですら開発は機密扱いであった。ATB(Advanced Technology Bomber、先進技術爆撃機)という計画名は知られるようになったものの、1988年4月に想像図が公表されるまでは公式情報はほとんどなかった。
B-2の開発は米ノースロップ・グラマン社と米ボーイング社が共同で行い、米ボーイング社がコックピット部と本体の中央部、残りをすべてノースロップ・グラマン社が担当した。1982年に6機のプロトタイプ用の予算が組まれ、1988年11月22日に最初の機体82-1066がパームデールのアメリカ空軍第42プラントからロールアウトされた。セレモニーは非常に慎重に計画され、招待された500名のゲストは地上からはB-2の正面のみ閲覧が可能であったが、上空からの規制は手が抜かれていて小型セスナ機により上空から撮影された写真が残されている。
初飛行は当初1989年7月15日に予定されていたが(予算編成時は1987年の予定だった)燃料系のトラブルのため延期され、最終的には7月17日にエドワーズ空軍基地にて行われた。
2012年現在では、20機保有している。

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2012年9月6日木曜日

B-1 ランサー(アメリカ空軍戦略爆撃機)

情報元:Wikipedia(B-1 ランサー)

B-1はB-52の後継機として1965年にスタートしたAMSA(次期有人戦略機)計画によりロックウェル社によって開発され、アメリカ空軍で採用されている可変翼(VG翼)の戦略爆撃機。愛称はランサー(Lancer):槍騎兵の意、一部の運用者達からは「B-ONE」→「ボーン」とも呼ばれている。
超音速で敵領空内に低空侵入する長距離戦略核爆撃機として開発されたが、現在は緊急近接航空支援という以前とはまったく別の任務を担っている。

大型爆撃機としては珍しい可変翼を採用し、15度から67.5度の後退角で幅広い速度領域をカバーしている。最高速度は、空気取り入れ口が可変式となっているA型でマッハ2.0、固定式となったB型ではマッハ1.25となっている。また、ステルス性を持ち、レーダーによる発見率は低いといわれている。
ロックウェル社の航空宇宙部門はボーイング社に吸収されており、現在はボーイング社が供給している。ソビエト連邦のTu-160(Blackjack)はB-1を参考にして開発したと言われている。これは両者の外見的特徴が酷似しているのが要因であるが、両者は技術的には大きな差異があり、また寸法もTu-160の方が一回り以上大きい。同じような現象は同時期の米ソ両国の宇宙往還機スペースシャトルとブランにおいても見られる。
2012年現在では、66機を保有している。

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2012年8月4日土曜日

マクダネルXF-85ゴブリン(アメリカ陸・空軍試作戦闘機)

情報元:Wikipedia(XF-85)

マクダネルXF-85ゴブリン(McDonnell XF-85 Goblin) は、アメリカ合衆国のマグドネル社が開発していた試作戦闘機である。戦略爆撃機コンベアB-36を護衛するために、B-36の爆弾倉内に収納されて、戦闘空域まで運搬されるパラサイト・ファイターとして構想された。性能および運用に問題があり実用化はなされなかった。

従来、爆撃機の護衛を行う戦闘機は航続距離が短いことが問題であった。B-36は長距離爆撃機であったため、目的地上空まで随伴できる戦闘機は存在しておらず、B-36の爆弾倉内に戦闘機を収納することで、戦闘空域まで戦闘機を輸送する方法が考えられ、開発された。戦闘時には母機から発進し敵機を迎撃して、戦闘終了後に母機に帰還する。
1942年頃から構想が存在したが、本格的な開発は1945年9月以降である。1946年6月に実物大模型が完成している。1947年2月2日にXP-85として2機の試作機が発注された。
機体は、B-36爆弾倉に収容される。機首にジェットエンジンのインテイクを持ち、ノズルは胴体末尾にある。全長は4.52mしかなく、樽状の胴体を有している。後退翼の主翼を装備しており、後退角は34度。実物大模型ではX字型の4枚尾翼であったが、試作機では5枚に尾翼が増やされた。この後、風洞試験の結果から最終的に6枚となった。また、飛行試験の結果から主翼端に方向安定板が追加された。
1号機は1947年10月に完成したが、当初はエンジンを装備せず、主に風洞試験に用いられた。2号機は1948年7月からボーイングEB-29Bを親機として、飛行試験に用いられた。8月23日に初の自由飛行に成功したが、親機への帰還に失敗し、ミューロック乾湖に不時着している。10月14日に2度目の自由飛行を行い、母機への帰還に成功した。この後、1号機も飛行試験に用いられたが、やはり母機への帰還に失敗し不時着している。 飛行試験の結果を受け、母機との再収容が容易でないこと、小型で特異な形状のため飛行性能が悪く、敵戦闘機に対して充分に対抗できないことにより、1949年に計画は撤回された。代替として、リパブリックF-84戦闘機を爆撃機の翼端に取付ける「トムトム計画」が遂行されたが、これも空中給油で、通常の護衛戦闘機の航続距離が伸びたことなどにより中止となった。
製造された2機は、現在、オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館、ネブラスカ州オマハの戦略空軍博物館に展示されている。

2012年7月12日木曜日

B-36(アメリカ陸・空軍戦略爆撃機)

情報元:Wikipedia(B-36)

B-36とはアメリカ合衆国のコンソリデーテッド・ヴァルティ(コンベア)社が開発した戦略爆撃機。冷戦の初期段階において、アメリカ空軍の戦略航空軍団(SAC)における主力爆撃機となった。 正式な愛称は存在しないが、公式な場でもしばしば「ピースメーカー(Peacemaker)」との表現がなされ、これが半ば公式な呼称となっている。他には「コンカラー」、「ビッグスティック」などがある。

第二次世界大戦中に計画された爆撃機であるが、1945年8月に日本が連合国軍に敗北し、第二次世界大戦が終結したため開発が急がれず、初飛行は1946年8月8日であり、配備は1948年で最終的には1954年まで製造された。
退役したのが、大型ジェット爆撃機のボーイングB-52が配備された後の1959年であり、活動した期間が短い機体である。
B-36は6発レシプロ機(プロペラは推進式に主翼の後ろに取り付けられている)であったが、推力不足気味で、開発されたばかりのジェットエンジンを左右の主翼に2基ずつ計4基をパイロンで吊り下げ追加装備して空前の10発爆撃機となった。
機体表面にはマグネシウム材を用いていたため、墜落事故を起こすと他の爆撃機も同様であるが跡形も無く全焼することが多かった。
現役時代に朝鮮戦争があったが、全てが核戦争勃発時の主力核爆弾搭載機として温存が図られたのと、すでにジェット戦闘機の時代であり、飛行速度の遅さによる被害が懸念された為、爆撃機としての実戦投入はされなかった。

B-36ピースメーカー プラモデル・模型等

2012年7月5日木曜日

YB-35・YB-49(アメリカ陸・空軍爆撃機)

情報元:Wikipedia(YB-35)

YB-35(Northrop YB-35) は、アメリカの航空機メーカーであるノースロップ社が、第二次世界大戦の最中にアメリカ陸軍航空隊のために開発した無尾翼レシプロエンジン重爆撃機の試作機である。この爆撃機は尾翼がなく胴体そのものが主翼という全翼機であり、実際に飛行出来る大型の航空機に全翼機の設計が採用された世界最初の機体であった。愛称はフライング・ウィング(FLYING WING)。
また同様な形状で推進機関をジェット化したYB-49という発展型も製作された。いずれの機体も次期戦略爆撃機として、より一般的な形態のコンベア B-36が採用・実戦配備されたため量産されることはなかった。そのため、B-35開発計画を含む全翼機が実用化することはなかった。ただし、レーダーに捕捉されにくいという機体設計概念自体は後にステルス機として知られるB-2 スピリット開発の際に活用された。


情報元:Wikipedia(YB-49)

YB-49は、アメリカの航空機メーカーであるノースロップ社が、第二次世界大戦終結直後にアメリカ空軍のために開発した全翼重爆撃機の試作機である。2機が製作されたYB-49は、同様な形状でレシプロエンジン推進のYB-35の発展型であり、同機をジェット化したものであったが、実戦配備されることはなく、より一般的な形態のコンベア B-36が採用された。しかしながら、レーダーに捕捉されにくいという機体設計概念自体は、ステルス機として知られるB-2 スピリット開発の際に活用された。