2012年12月24日月曜日

La-15(ソビエト連邦戦闘機)

情報元:Wikipedia(La-15)

La-15(ロシア語:Ла-15ラー・ピトナーッツァチ)は、ソ連のラヴォーチキン設計局で開発されたジェット戦闘機である。初飛行は1948年。DoDが割り当てたコードネームはType 21。

La-15は同時期に開発されたMiG-15によく似た外観をしているが、MiG-15がダクトの中央を主翼が突き抜けるという中翼構造を採っているのに対し、本機は高翼構造にすることによって後退翼における強度問題を解決している。La-15は航空機「174」、航空機「174D」として開発されたため、試作機はLa-174などとも呼ばれている。また、複座練習機型は航空機「180」として開発された。エンジンはMiG-15が当時ソ連で最も強力であったロールス・ロイス・ニーンの国産型であるRD-45ターボジェットエンジンを採用したのに対し、La-15は小型で非力なダーウェントの国産型RD-500を選択させられた。そのためLa-15は十分な性能が得られずMiG-15に主生産機の座を譲り渡すことになったとも言われるが、エンジン選択の段階からして恐らくは政治的理由が絡んでいたと思われる。結果La-15は迎撃戦闘機として数百機が生産されたにとどめられた。第二次世界大戦時以来ソ連空軍の主力戦闘機を生産し続けてきたラヴォーチキン設計局の実用機も本機が最後となり、1950年代以降、特に戦闘機におけるミコヤン・グレヴィッチ設計局の独占的構造が確立されていった。