情報元:Wikipedia(ホーカー ハリケーン)
ホーカー ハリケーン (Hawker Hurricane) は、イギリスのホーカー・エアクラフト社によって1930年代に設計されたレシプロ単発・単座戦闘機である。第二次世界大戦においてイギリス空軍を始めとする連合軍で使用され、バトル・オブ・ブリテンなどで広く活躍した。
1930年の初めに、イギリス空軍の爆撃部隊強化に貢献したトレンチャード卿が退役し、新たにイギリス空軍司令官に着任したジョーフリー・サーモンド (Geoffrey Salmond) 大将は防空戦闘機の交代を計画した。この頃のイギリス空軍主力戦闘機は最高速度が約360km/hで武装は7.7mm機関銃2丁というホーカー フューリーであった。航空省は仕様書F.7/30を作成し、全金属製、最高速度400km/h、7.69mm機関銃4丁という要求をメーカー側に掲示した。しかし、折りしも世界恐慌の真っ只中で軍事予算が大幅に削られた影響を受けていたこともあって、航空省が選定することになったのは複葉のグロスター グラディエーターであった。
1934年、財政に余裕があったロールス・ロイス社がPV.12 エンジンの開発に成功し、これが契機となってホーカー社はシドニー・カム (Sidney Camm) 技師の主導で単葉単座戦闘機の開発に乗り出した。1935年までに設計案が提出され、航空省はホーカー社の設計案向けに仕様F.36/34を作成し、同年の1935年2月21日に試作機の製作も許可した。
製作された試作機は1935年11月6日に初飛行を行った。同月にハリケーンと名づけられた、この機は翼や胴体には木材や帆布を多用し、エンジンやコクピットは鋼管をアルミニウム合金で覆ったものであり、ハリケーンの4か月後に登場するスーパーマリン スピットファイアの全金属製、モノコック構造を採用した最新戦闘機とは対照的で、前時代的といわざるを得ない旧式な構造だった。これはホーカー社の製造技術はもちろん、全金属製に生産ラインを対応させるのは非常に困難であったからである。旧式な設計ではあったものの、軽くて頑丈でもあり、その余裕のある構造から戦局に伴う改良への適性、被弾時の機体や乗員のサバイバビリティにも優れていた。
最初の生産型、ハリケーン Mk. Iが1937年10月12日に初飛行を実施し、イギリス空軍は保守的でありながら複葉戦闘機から大きく向上したと、Mk. Iを1,000機発注した。予想通り、ハリケーン Mk. Iの量産は順調に進んだ。
当時、新鋭のスピットファイアはスムーズに生産を始められるかわからない状況だったが、ハリケーンの生産法は熟知されており扱いやすいものであった。運用部隊にとっても同じことで、それまでもハリケーンのような木金混合製の航空機に搭乗し、また整備をしてきたからだった。ハリケーン Mk. Iは1,030 馬力 (768 kW) のロールス・ロイス マーリンエンジン Mk. IIまたはMk. IIIエンジンを搭載し、8丁のブローニング7.7mm機関銃で武装していた。装甲や自己閉塞機能のある燃料タンクは備えておらず、帆布張りの主翼に木製固定ピッチのプロペラというシンプルなもので、試作機から変更されていたのは、キャノピー(風防)と冷却装置の強化、主脚の小改良であった。
こういった構造を解決するため、Mk. Iの主翼を金属製に変更し、プロペラ・スピナーの延長、プロペラの3翅化といった後期型のハリケーン Mk. IA シリーズ2が同年に開発された。プロペラの可変ピッチへの変更により、飛行性能が若干向上した。なお、最初のMk. Iは後にMk. IA シリーズ1と呼ばれた。
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