情報元:Wikipedia(デ・ハビランド DH.103 ホーネット)
デ・ハビランド ホーネット (de Havilland DH.103 Hornet) は第二次世界大戦末期にイギリスで開発された戦闘機である。モスキートの流れを汲む木製機で、イギリス製プロペラ機の中で最高速を誇ったが第二次世界大戦には間に合わず、戦後に極東方面などで対地攻撃に使用された。
ホーネットは元はデ・ハビランド社の自主開発機だったが、後にイギリス空軍から仕様書が出され正式な試作機が発注されることになった。試作機は1944年7月に初飛行した。最高速度はイギリス製プロペラ機中最高の776km/hを記録するなど試験結果は上々で、制式採用が決定し生産型の1号機は1945年2月に完成した。
ホーネットはモスキート同様胴体は全木製で、主翼の上面が木製、下面が軽合金製であった。しかし、胴体ははるかに鋭く整形されており重量は軽減されていた。また、長距離戦闘機として開発されたため燃料容量が大きく、後期型では最大4,000kmを越える長大な航続距離を有していた。その他、左右のエンジンの回転方向を逆にすることによって離着陸時の偏向を無くしたり、視界を確保するためコクピットを機首の先端に近い部分に移すなど細かい工夫もされており、まさに究極のレシプロ双発戦闘機とも言える機体であった。しかし、主脚が構造的にやや弱いという欠点もあり、外地での戦闘時には脚が折れる事故も起こした。
イギリス空軍では対日戦にこの機体を使う予定で部隊配備を進めていたが、配備が完了したのは1946年になってからで第二次世界大戦には間に合わずに終わった。生産は1952年6月まで続きマレーの共産ゲリラ鎮圧等に用いられ、最後のピストンエンジン付戦闘機として1955年にはグロスター ミーティアと交替して退役した。イギリス空軍に引き渡された機数は211機であった。ホーネットの艦上戦闘機型がシーホーネット(de Havilland SeaHornet)で、着艦フック、翼折りたたみ機構装備、離艦補助ロケットブースター取り付けなどの改修がされていた。このため、地上型よりも若干ではあるが機体重量が増加した。試作1号機は1945年4月だったが、各部の改修に手間取り部隊への配備はホーネット同様大戦終戦後の1949年1月となった。本機は、同じく戦後配備となったシーモスキートとは異なり、実際に航空母艦の艦上で運用されたが実戦には参加しなかった。複座の夜間戦闘機型や偵察型も生産され、全部で198機生産された。