情報元:Wikipedia(La-9)
La-9(ロシア語:Ла-9ラー・ヂェーヴャチ)は、ソ連で開発された戦闘機である。1946年に初飛行した。
La-9は、ソ連においてLaGG-1以来ラーヴォチュキン設計局が開発を続けてきた一連の戦闘機の完成型といえる機体であった。そこでは、La-7まで金属・木材・布等の混合構造であった機体構造を全金属製にするなど、全面的な改設計を行われていた。また、操縦席もより視界の良い風防に変更されていた。戦力化は第二次世界大戦には間に合わなかったが、Yak-9Pとともに1940年代後半のソ連軍の主力戦闘機となった。しかしながら、1947年にはMiG-15が初飛行に成功するなどジェット化がすぐあとに控えていたため、La-9などのレシプロ戦闘機はそれらと比べればあまり多くは配備されなかった。 La-9の発展型としては、1947年に初飛行したLa-9V(Ла-9В、UTI La-9(УТИ Ла-9)とも呼ばれる)複座練習訓練戦闘機があり、また同年にはジェットエンジン2基を搭載するLa-9RD(Ла-9РД)も飛行した。La-11(Ла-11ラー・アヂーンナツァチ)はLa-9の長距離護衛戦闘機型で、翼端に燃料タンクを取り付けることも出来た。La-9とLa-11はともに朝鮮戦争へ投入され、Yak-9Pとともに中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国軍の航空戦力の主力を担った。また、La-9はルーマニアなどに、La-11はインドネシアなどにも輸出された。日本の近くでは、1950年代、択捉島にソ連軍のLa-11が配備されていた。